日本での旅のなかでも、比叡山を訪れたこの日は特に印象深い一日となった。日本仏教を専門とする旧友で、大学時代の同級生でもある Guilhem Laude とともに山を歩いた。比叡山は以前から文献や日本仏教史を通じてよく知っていたが、実際に歩くことで、その名は斜面、森、距離、そして境界からなる具体的な地形へと変わった。
京都を見下ろし、琵琶湖にも向き合う比叡山は、日本を代表する聖山の一つである。788年、最澄(さいちょう)はここに修行の場を開き、それが延暦寺(えんりゃくじ)の核となり、日本天台宗(てんだいしゅう)が展開する中心となった。現地では、この歴史が空間として理解できる。延暦寺は一つの伽藍だけではなく、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域が森と道によって結ばれた、山全体に広がる宗教施設である。
私がとりわけ関心をもったのは、宗教制度、建築、景観の結びつきだった。比叡山は日本中世仏教の形成に決定的な役割を果たした。法然(ほうねん)、親鸞(しんらん)、道元(どうげん)、栄西(えいさい)、日蓮(にちれん)らは、それぞれ異なる形ではあるが、この山で学び、修行した経験をもつ。その後、彼らの歩みは別の教えと実践へ向かうことになる。したがって比叡山は天台宗の中心であるだけでなく、日本仏教の多様化を考えるための重要な出発点でもある。
山を進むにつれて、私はこの場所が要求する「歩く速度」に強く意識を向けるようになった。建物から建物へ単純に移動するのではない。登り、下り、森がほとんどすべてを覆う区間を抜けていく。その連続が視線を変える。大きな堂宇はもちろん重要だが、その間にある空間も同じくらい重要であり、山全体が修行空間となる仕組みを理解させてくれる。
古い石段と石灯籠は、この日のなかでも特に強く記憶に残った。それは単に風情があるからではない。そこには僧侶、巡礼者、参詣者が長い時間をかけて繰り返してきた移動が刻まれている。建築や仏像だけを切り取って研究すると見失いやすい、宗教空間の「つながり」を身体で理解できる場所だった。
そしてこの体験は、Guilhem と共有したことでさらに意味深いものになった。天台の歴史、僧侶の系譜、修行、空間構成について話しながら歩くことで、建築の細部、方位、堂名、道の曲がり方までもが、より大きな日本仏教史へとつながっていった。
琵琶湖を望む景観は、比叡山が閉ざされた世界ではないことも教えてくれる。京都と大津の間に位置するこの山では、山林での隠棲と、周辺地域を見渡す地理的な開放性とが同時に存在する。高所から眺めると、隔絶と接続という二つの性格が非常に明確に感じられた。
比叡山を離れるとき、「山岳寺院」という言葉を以前より具体的に理解できた気がした。ここでは建築だけが独立して存在しているのではない。道、森、距離、眺望、気候、そして反復される宗教実践が一体となって空間をつくっている。景観ゆえに美しい場所もあれば、そこに蓄積された物語ゆえに美しい場所もある。比叡山はその両方だった。
基本情報
場所:比叡山、京都・大津間。
中心寺院:延暦寺。
開創:788年、最澄。
宗派:天台宗。
主要区域:東塔・西塔・横川。
文化遺産:延暦寺はユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産。